「人は誰でもクリエイティブになれる」とレイ エドワーズは言います。聖書によると「神は人を彼の似姿に創造した」(創世記1:27)からだと。
クリエイターである神に似せて造られたのだから、我々人間もクリエイターなのだと。この視点は大切です。良くも悪くも、現実を創造したのは自分だと知るからです。
人は何かを作ります。良い人間関係を作ります。また悪い人間関係も作ります。意識的、無意識的に作っているのです。
良い体を作ります。悪い体を作ります。食べ物や睡眠、運動に気をつけながら。
良い言葉を発します。悪い言葉を発します。それは人を生かしたり、殺したりします。
神様のように地球や宇宙、生命やそのサイクルを作る事はできませんが、細かく見れば、毎日何かしら作っているのです。
「自分の力をもっと受け入れよ」「人生に責任を持て」という事です。
素晴らしい才能と、力がすでに備わっているのです。自分で描き、計画し、好きなようにやってみる、楽しんでみる、それでいいと思います。
何がブレーキをかけるのでしょうか。これまでの教育だと思います。正解だけを教え込まれ、追い求める教育でした。
自分で正解を探す、決める事は許されませんでした。全て受動的。日本人は「お前は最高傑作なのだから、自分で好きに生きろ。すでに必要なものは備わっている」と放り出される事が、一番苦手な民族かも知れません。
マニュアル通り生きる事が一番楽だからです。日本人が「お前はそもそもクリエイターだ」といわれたら、戸惑ってしまうでしょう。
なぜそうなってしまうのか、レイはこう言います。
「我々は創造主である父の顔を忘れたからだ」
進化論で汚染されたほとんどの日本人は、そもそも父なる神、創造主を知りません。自分のルーツはアメーバか、それとも猿なのです。そこが問題です。